腐女子な管理人が送る、腐女子発言多々の日々のつれづれ。
髪を梳く手が温かい。
体を包み込む腕が力強い。
「もう、私を離すな」
「兄者は甘え上手ですな」
耳元で囁いた声が柔らかい。
「違う、お前が甘やかし上手なのだ」
言葉を返すと、そうですか、と低く笑われた。
義弟の体が揺れると、手入れの行き届いた立派な髯が頬をくすぐった。
くすぐったいぞ、と笑いながら文句を付ければ、そうですか、と目を細めて笑い返された。本気でないのはお互い様だ。
義弟の広い背中に腕を伸ばして体重をかけた。
劉備の重みを受けても揺るがない体躯が、絶対の安心感を与えてくれる。
甘やかし上手め、とやはり思う。
黙って劉備の好きなようにさせてくれる弟に、言うまい、と思っていたことが口をついた。
「雲長、このまま翼徳と一緒に三人だけでどこか、戦の無いところで静かに暮らさないか」
頬をくすぐっていた髯が大きく揺れた。弟の驚きが伝わったが、口に出してしまったことに、不思議と後悔はなかった。
兄者、と耳元で聞こえた声は、髯を通じて感じた驚きは滲んでおらず、どのようなときよりも静かだった。
「今回のことで良く分かったのだ。私は、お前たちがいないと何もできない、何かする気にもならなかった。ただ毎日お前たちの身を案じて嘆き、沈む毎日だった」
曹操を裏切り、徐州に立てこもったのは良かったが、あっという間に攻め込まれて劉備をはじめ、関羽、張飛の三人は生死も分からず散り散りとなってしまった。無我夢中で逃げ、我に返ったときに傍にいたはずの張飛の姿がなく青褪め、城に残してきた関羽の身の上を思いあたり、気が遠くなった。
同じように逃げ延びた人々がしきりに慰め励ますのだが、劉備の消沈ぶりは袁紹の下でも続き、彼を呆れさせた。
「劉備殿は弟御がおらんと、まるで魂を抜かれた者のようだな」
袁紹の言葉が胸に迫った。
嗚呼、そうなのだ。
関羽と張飛は、劉備の魂の一部、三人で一つの魂なのだ。
離れてみて痛烈に感じた。
「しかし、我らはこうして兄者の下へ帰ってまいりました」
「だが、また同じようなことが起きるやもしれぬ。そのときはもう、私は立ち直れないかもしれない」
臣下が、関羽の所在を探し出し、張飛の存在を風の噂で聞きつけてくれたからこそ、劉備は再び顔を上げることができた。
「兄者」
変わらず、関羽の声は静かだ。
「だってそうだろう、雲長。私は、お前たちがいれば何もいらぬのだ」
この腕と、その声と、耳に聞こえる心音と、それらがあれば何も望まない。
「嘘は、いけませぬぞ、兄者」
「嘘など言っておらん」
「では、どうしてこのように拙者に甘えていらっしゃる」
「久しぶりに、ようやく再会できたのだ、当たり前だろう」
「翼徳とは、なさらぬではないですか」
「あいつは、酒に酔って寝てしまっている」
「兄者が拙者にこうして甘えてくるときは、いつも決まっております」
頬に肉厚の手のひらが添えられた。逆らわず上を向くと、関羽の清んだ双眸が劉備を見つめていた。
唇をそっと吸われた。
久しぶりの感覚に、ぞくり、と背筋が甘く痺れる。
戯れのような、優しいだけの口寄せに、劉備の魂はぶるり、と震えた。
「雲長」
「分かっております、拙者は兄者の弟ゆえ」
背中に回している腕を首へ伸ばした。
「まだ、隠遁するには早いようですな」
「うん」
また唇を吸われて、そしてゆっくりと寝台へと倒される。
「兄者は甘え上手ですな」
「お前が、甘やかし上手なのだ」
何度も交わした言葉を、飽きもせずに繰り返す。
雲長――
何ですか、兄者――
「歩き始めるための勇気を、与えてくれないか」
御意に――
兄者が言う前より、そのつもりでした、と劉備に覆い被さる瞳は静かに語っている。
敵わないな、雲長には――
劉備は目を瞑り、これからも訪れるであろう辛い道のりを想像しつつも、頬をくすぐった髯の感覚に、くすぐったいな、と笑ったのだった。
終