こんばんは。
前回の日記で言っていたように、お題の更新にきました!
と言ってみますが、なんと前回のお題が去年の12月って……。
もう半年経っているやん。
書いていた当人も、お題ルール忘れて見直すわけだよ。
でも、残り二つとなったお題、今日の更新と、すぐ更新できまして、
無事に終了となります。
今回、長かった……。
大体、ショートショートのお題挑戦は、
イベントの谷間、ブログのネタがないときに挑戦して、
一気に終わらせてきたパターンが多いので、
今回みたいに間が空くのは、反省しきりです。
まあ、気を取り直して。
まずはおさらいで、お題の10個と、
付随する今回のお題の自分ルールと雰囲気について。
今回は切ない系のお題多め(死にネタ、離別系などなど)
10個に渡るお題の本お題タイトルは、全部が終わったときに発表。
各お題も、小話の最後に明かす。
ここまでのお題クリア8つ
張繍と賈詡
親衛隊と曹操
曹丕と司馬懿
趙雲(割と切ない系ではない)
馬岱と龐徳
徐庶(特別に二つ掲載)
馬岱と魏延(唯一ほのぼので終わる)
曹操と袁紹
↑ ここまで去年の12月までに終了。
気になる方は、カテゴリーでお題小話をクリックしてください。
出てきます。
一つ目のルール(お題を明かさない)があるため、
ピクシブ収録は、全部が終わったあとになります。
で、残り二つは以下の組み合わせ。
劉禅と諸葛亮 もしくは 姜維と諸葛亮
今日は↑です。結局、劉禅と諸葛亮になりました。
だいぶ、救われない話報われない話になりました。
お題ルールどおり! やったね(酷い)
呂布と陳宮
↑これがラストになります。
無双陳宮に寄せようかと思ったのですが、
まあいいか、と当初の予定通り創作です。
基本的に馬岱以外の話は創作寄りです。
では、前置きが長くなりましたが、
折り畳みより、劉禅と諸葛亮 です。
気になる方は、どうぞ。
「劉禅と諸葛亮の場合」
本当の父親が、これからは彼を父と思い、教えを乞え、と遺言した。その前から、もともと尊敬していた人だ。父と慕うことを嬉しい、とさえ思った。
その彼は、父が死んでから目まぐるしく働いている。
物心ついた頃から、彼が暇そうにしているところ、のんびり余暇を楽しんでいるところなど見たことがない。だが、やはり父が死んでからの彼は不必要なほどに政務を抱え、働いているように思えた。
まるで、失った何かを忙しさで埋めるかのようだ。
いや、「何か」など決まっている。
父を失った穴を埋めるためだ。
どうしようもなく、彼の胸に大きく空いてしまった穴を、煩雑さで埋めてしまおうと必死なのだ。
この国の中心だった父の存在は、あまりにも大きすぎた。誰もが失った穴の大きさを埋める術を知らない。
もちろん、後を継いだ自分さえも、父の代わりはできない、と早々に悟っていた。
だからといって、体を酷使するような働きを見過ごすことは出来ない。
彼を呼んだ。
「諸葛丞相、たまには休暇など取ってみてはどうだ。私はついぞ、そなたが休んでいるところを見たことがない」
「陛下、お心遣い大変ありがたく存じます。しかし、私に休む暇はございません。一日でも早く、先主の遺志を遂げ、墓前に報告いたしたいのです」
「その気持ちは理解する。……だが」
一瞬、言うか言うまいか迷ったが、口にした。
「死んだ者よりも、生きている者のほうが大事、と思わぬか。私は今、目の前にいるそなたの身を案じる」
「陛下……」
表情は常に淡く微笑むような、内面を量ることの出来ない顔をしている男が、はっきりと眉をひそめた。ひそめ、瞳の奥に暗い悲しみを浮かべた。
寒々しい、と身震いする。
父が亡くなったのは、春も終わり夏が歩み寄ろうとしていた季節だというのに、妙に肌寒い日だった。
今は再び季節はめぐり、夏も盛りだ。だというのに、この寒々しさはどうしたことだ。
「私は陛下のように割り切ることは出来ません。私にとって先主は今も――っ」
続けようとして、それは目の前の劉禅をないがしろにする発言だ、と気づいたらしく、言葉を切った。
知っている。知っているよ、諸葛亮。貴方の中でどれだけ父が大きい存在であったか。父は良く、貴方がいなければ今の自分はなかった、とおっしゃっていた。水のない魚は死ぬだけだ、と真面目な顔で語っていた。
でも私は違うと思う。
いや、父を失った貴方を見て、気付いたのだ。
貴方こそが、父がいなければ存在意義を失う。そう感じた。
そしてきっと、実際にそうなのだろう。
今の貴方を見ていると、なおそう強く思うよ。
父は死んでいる。
劉玄徳は死んでいるのだ、と告げただけで、貴方はあの日の、己の存在意義を失った日に戻ってしまう。
ため息を喉の奥で押し殺した。
私では、貴方の存在意義にはなれない。貴方の中で泳ぐ魚になり、貴方の胸に空いた寒々しさをせめてぬるめることすら出来ない。
分かっている。
それでも私は、父として、人として慕う、今を生きている貴方が大切なのだ。
だからせめて、私は――
彼にぬくもりを運ぶ風でありたい。
そう願っているが、このささやかな願いすら叶わないのだろうか。
寒さに囚われている彼に、僅かばかりの暖かさすら運べぬほど、己には力がないのだろうか。
父の存在の大きさに、改めて埋める術を持たぬ己の手を、劉禅はただ見つめるばかりだった。
おしまい
お題「彼にぬくもりを運ぶ風でありたい」より
そんなわけで、どうしてか劉禅と諸葛亮の組み合わせで書くと、
水魚前提になる上に、劉禅報われない話になってしまう。
劉禅好きなんですよ!
でも、諸葛亮がそんな私の劉禅好きなんだ! を上回る、
未亡人ぶり(語弊ではない)で、どうしてもこうなってしまう。
[2回]
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