腐女子な管理人が送る、腐女子発言多々の日々のつれづれ。
ばたい~、と馬鉄が従兄弟の中でも一番年下の少年を呼びに来ると、小さな背中は丸まっていて、一心不乱に地面に何かを描いていた。
「馬岱ー、何描いてんの?」
「……」
呼びかけても返事はない。
何に夢中になっているのだ、と背後から、従弟の肩越しに覗き込めば、丸い細長い物体に四つの棒が無造作に刺さり、その上ににょっきりもう一本、大きい棒が突き刺さっている、実に珍妙な絵だった。
「なにそれ」
眉をいっぱしにひそめて、馬鉄は訊いた。
「若」
ようやく馬岱が答えた。
「はあ? 誰だって?」
「若だよぉ、馬に乗ってる若!」
ようやく振り返った馬岱は、得意そうに鼻の穴を膨らませて、目をキラキラさせながら満面の笑みを浮かべて宣言した。
「若って……大兄? これ大兄か? じゃあ、この泥団子に棒をたくさん突き刺したようなやつは馬か?」
ということは、その上に突き刺さるように乗っている物体は、必然的に馬鉄の一番上の兄であり、目の前のにこにこ笑っている馬岱の従兄にあたる、馬超その人、ということになる。
「ぶふぅ……あは、あはははははっ、こ、これが大兄? てか、これ馬っ? お、前、なにこれ、致命的に下手! すっげえ下手くそだぞ!」
盛大に噴き出して笑う。馬岱のふわふわのくせっ毛をぐちゃぐちゃにかき混ぜながら、ないない、これはないわ、と散々にけなす。
「鉄!」
急に、後ろから頭を殴られた。
いてえ、と文句をつけて、後ろを見やる。すぐ上の兄、馬休がそれは怖い顔をして睨みつけていた。
「んだよぉ、小兄、なんで殴るんだよ!」
抗議するが、馬休は無視をして、馬岱の頭を馬鉄の手から奪っていった。それから嵐が通り過ぎた森のようになっている馬岱の髪を優しく撫でながら、言う。
「岱が描いたのか?」
こくり、と馬岱が頷いた。
そのときになって、ようやく馬鉄は馬岱が両目一杯に涙を浮かべていることに気付いて、あ、と声を漏らした。
罪悪感より何より、泣き顔の馬岱が痛々しくて胸が苦しくなった。
「あの、岱?」
「うん、これが兄上か? この頭から飛び出ている部分は、兜飾りか」
「そうだよ」
馬鉄が話しかけるも、馬休は馬岱と絵を見ていて混ぜてはくれない。髪の毛を整えながら、馬岱の眼元に滲んでいた涙もぐしぐし、と乱暴にぬぐって何事もなく続けている。
「そうか、兄上の特徴をよく掴んでいるじゃないか。凄いな、馬岱は」
「そう? おれすごいかな」
「ああ、上手いもんだ」
えへへ、と嬉しそうに従弟は笑う。
ずりぃ、と馬鉄は頬を膨らませる。後から来て、今の話を聞いていたから馬休はそういうことが言えたのだ。一緒に見ていたら、絶対に馬鉄と同じように笑っていたはずだ。
「馬岱、いいから俺と遊ぼうぜ。絵なんていつでも描けるって」
馬岱と一番仲が良いのは、歳が一番近い自分なのだ、という自信がある。
「この間言ってた、草笛が上手く吹ける草がたくさん生えているところ、見つけたんだ。行こうぜ」
少しだけ嫌がる素振りを見せた馬岱だったが、その言葉でうん、と嬉しそうに頷いた。
「なんだ、岱はもっと絵を描いていればいいのに。俺は岱の絵、もっと見たいぞ」
え、そうなの? と馬岱が褒められてにこり、と笑う。なんだかそれに腹が立って、怒鳴る。
「なんだよ、小兄はさっきから! 俺が最初に岱に声をかけたんだぞ」
「だって、お前岱を泣かせただろうが」
「それは……でも、岱は俺と遊びたがってるし、いいんだよ」
「良くない。お前はすぐに岱を泣かせるし、一緒に遊ばせたら絶対に怪我をさせるじゃないか」
「あ……休ちゃん、鉄ちゃん、喧嘩は……」
駄目だよ、という馬岱の声も届かないほど、すでに二人の言い合いには熱が籠っていた。
「小兄はいっつもそうだよな。俺のやることなすこと全部駄目だ駄目だって言うじゃねえか! ちょっと先に生まれたからって偉そうなんだよ!!」
「鉄こそ、そうやって俺の言うこと聞かないで突っ走って、あとで困って泣きついてくるじゃないか。生意気だぞ」
どん、と馬休が馬鉄を乱暴に突き飛ばす。かあ、と頭に血が上った。あとはもう殴り合いだ。
傍で馬岱がやめてよー、と泣きじゃくっていることにも気づかずに、二人は地面に転がって血まみれ泥まみれだ。
「おい、やめろ!」
それを止めたのは、馬超の一喝だった。乱暴に二人を引き離すと、頭にそれぞれ拳骨を落とす。
痛い、と揃って悲鳴を上げた。
「どっちが馬岱を泣かせた」
見上げれば、険しい顔をして、一番上の兄が睨んでいる。
「わか~」
と馬岱は泣きながら馬超の腰へしがみ付いた。
それを見た二人は、先ほどまで喧嘩していたことも忘れて、異口同音に叫んだ。
なにそれずるい! と――
「大体、あの頃から馬岱は大兄のことばっかりだったよなあ」
「なに、急に。どうしたのよ、鉄」
馬岱が目をぱちくりさせた。
「若、若~ってさあ。俺なんか、何度『若と約束しちゃったんだ、ごめんね』と言われたことか」
「ちょい、休までなにさ」
突然、わけのわからないことで絡まれた馬岱はすっかり困惑し、眉を寄せてしまった。
馬休、馬鉄の父、馬騰が天子の住まわれる都で近衛になる、ということで、故郷を長子である馬超へ譲り、向かっている最中だ。
「それよりさ~、俺心配。若ひとりで大丈夫かなあ」
「大丈夫だろう。ホウ徳殿も一緒だし」
「父上が、兄上にすべてを任せるためにも都へ行かれるのだから、俺たちが傍にいては意味がない」
「馬鉄も馬休も冷たいよぉ」
「お前はいい加減に従兄離れしろ。なんでそういっつも大兄のあとばっかり追いかけるんだ」
「だって、なんか若って一人で放っておくと何をやらかすか分からないしさあ」
「無鉄砲なところは確かにそうだ。猪突猛進というか」
そうでしょうよ、と馬休の言葉に頷く。
「だからって、岱が兄上の手綱を引く必要はないんだ。兄上は自分の手綱を自分で握れるようにならないと、父上の目論見が台無しだ」
「それは分かってるけどさあ」
「はいはい、岱は若が大好きでちゅからねぇ~」
「もー、さっきから何なのよ、鉄は。今日はやけに絡むよね」
だってそうだろう。
せっかく兄、という最大の障壁が無くなったところで、正々堂々と馬岱へ近づけるというのに、当の本人はいつまでも「若、若」とうるさいのだ。
「なあ、小兄」
「なんだ」
「ここは共同戦線、張ろうぜ」
「ほお」
「とりあえず、岱から大兄のことを思い出させる回数を減らさせる。これが当面の目標」
「お前にしては堅実な目標だな」
「それからはまた、今までどおり競争だ」
「もちろんだ」
二人が小声でやりとりを始めたので、馬岱は帽子の房を揺らしながら、手慰みに妖筆を振り回している。
「どちらが先に岱をものにしても」
「恨みっこなし」
合言葉を繰り返す。
たとえ、最大にして最強の障壁が自分たちの兄だとしても、だ。
『若~待ってよぉ』
と自分たちも大好きな兄へ駆けていくその嬉しそうな横顔が、一番大好きなのだとしても、負けるものか、と決意した。
今さら、馬岱への想いを棄てきれるはずがない。
少し先を歩む従弟の帽子を馬休が。手に握られていた妖筆を馬鉄が、馬で駆けながら奪い取る。
「うわっぷ? ちょい、二人とも何するのさ!」
『誰が先に都へつけるか、競争だ!』
兄と弟は声を揃えて宣言する。
追いかけて来い。
錦が輝くあの背中ではなく、俺たちを、どこまでも追いかけてこい、と願いながら、二人は笑いながら馬を駆けさせた。