腐女子な管理人が送る、腐女子発言多々の日々のつれづれ。
尊敬している男から紹介されたその男は、無邪気な笑みを携えてホウ徳へ手を差し出した。
「馬岱だよぉ、よろしくねホウ徳殿」
「ホウ令明だ。こちらこそよろしくお願いする」
ここ凉州で頭角を現し力を付けてきている馬騰の息子、馬超の下に、ホウ徳は身を置いていた。
馬超は苛烈で一本気な性格がやや危なっかしいもののホウ徳の目には好ましく映る。思い込めば一直線の部分は武技や馬術を治めるのに貢献しているのだろう。まだ年若いながらも彼に肩を並べる武人はそういなかった。
その馬超が紹介したい奴がいるのだ、と連れてきたのが、従弟だ、という馬岱だった。
馬超には馬休、馬鉄という弟が二人いて、どちらともホウ徳は顔馴染みだが、兄の馬超に良く似た武人らしい男たちだった。だが、この馬岱という男は、少しばかり毛色が違う。
もちろん馬を操るのに長けているのは凉州の男らしいし、妖筆という奇抜な武器を操るものの、その強さは馬超には及ばないがそこらの男よりは抜きんでている。
ただ、生真面目な馬超に比べて馬岱は、ニコニコと楽しそうに、よく冗談を言っては周りを笑わせる明るい性格をしている。そのせいか、男のまわりは良く人が集まっていた。
そんな男が、馬超のことを「若」と呼んで慕っているものだから、必然的に馬超の人気はますます上がっていた。
「馬岱殿は馬超殿のこと、慕っておるのだな」
「なに~、どうしたのホウ徳殿。うん、俺、若のこと大好きだよぉ」
今日も、何くれとなく馬超の世話を焼きながらも嬉しそうにしている馬岱へ、思わず声をかけていた。唐突であっただろうホウ徳の質問にも、馬岱は衒いなく笑顔で答えた。
「ホウ徳殿も、若のこと好きでしょ?」
「好き……うむ、尊敬はしている」
「嬉しいよぉ」
「……?」
「若のことが好きな人がたくさん居るってことは、俺にとっては嬉しいことだからね」
真っ直ぐに感情を露わにするところは、やはり馬超と血が繋がっているからなのか、などと思わぬところで二人の似通った部分を見つけて、ホウ徳も思わず微笑んだ。
すると、馬岱がさらにぱあっと笑顔を咲かせるものだから、首を傾げた。
「どうされた」
「え? だってホウ徳殿の笑顔、なんかいいなあって思ったから」
そうか、と思わず頬を乱暴に撫でた。
「すーぐに無茶する若の代わりに、いっつも静かに戦場を見てくれているホウ徳殿の顔は安心するけど、そうやって笑っている顔も好きだなあって思ったの」
「そ、そうか」
年甲斐もなく照れた。
「馬岱殿に褒められると、中々こそばゆいな。なるほど、馬超殿が貴公を気に入って傍に置くのも分かる」
「え~? そうかなあ」
若もね~、時々こーんな深い皺を眉間に作っているけど、やっぱり笑顔が一番かっこいいよね~、と馬岱はホウ徳の言葉に頬を緩ませながら、そんなことを言った。
そうやって、笑顔の似合う男であったはずの馬岱の泣き顔を見たのは、後にも先にもあれきりだ。
馬騰だけでなく、馬休、馬鉄も曹操に殺された。
馬岱が真っ青な顔で馬超の下へ帰ってきて報告した内容は、ホウ徳はもちろん、馬超を驚愕させた。
曹操、許さん!
と怨嗟の咆哮を上げた馬超を止めるすべを、ホウ徳も馬岱も持たなかった。諌めても宥めても、聞く耳を持ってはくれない。こういうところで、馬超の一本気な性格が災いした。
弔い合戦は復讐を呼び、連鎖は馬超の身内にも及んだ。馬超はたった一年の間に身内と呼べる人間を、馬岱を残してすべて失ったのだ。
頼るすべを求め、五斗米道の教祖である張魯の下へまでホウ徳たちは身を引いた。
ここ最近の馬超の荒れ具合はひどいものだ。元々癇癪持ちではあったのを、馬岱が巧みに宥めていたことは、本当に馬超に近しい人間ならば誰もが知っていた。
その馬岱ですら、最近の馬超は手に余るようで、ほとほと困り果てていた。
その日は特にひどかった。凉州の少数民族を束ねて地盤を固めようとしている馬超の、兵を貸してほしいという要請を、張魯が無下にしたため、と思われた。
馬超の屋敷からは物の壊れる音がしばらく続き、獣のような叫びすら漏れてきた。誰もが怖がり近寄らないが、ホウ徳だけは門の下で中の騒ぎが収まるのを待っていた。
もう辺りは闇が支配する時刻となっている。
「馬岱殿」
「ああ、ホウ徳殿、待っててくれたんだ、ごめんね」
ようやく静まった屋敷から、のっそり一人の男が足取りも重く出てきた。月明かりの下で馬岱の姿を見てとると、もみくちゃにされた衣や髪が戦の後よりもひどい有り様だ。殴られでもしたのか、頬は腫れ上がっていた。
「ちょい、ほんと若ひどいよねぇ~。全然手加減してくれないんだものぉ」
いてて、と頬をそっと撫でた馬岱は、苦笑いをしておどけた。口調は普段のままでも、その顔色が白く見えるのは、青白い月明かりのせいではないだろう。
「何も、貴公だけで馬超殿の鬱憤を受けることはないのだぞ」
「だけど、若ってば俺にしかそういうところ見せてくれないしさぁ。ホウ徳殿たちの前じゃ、ちゃーんと当主として胸張ろうとするから、仕方ないじゃない?」
「……」
分かり切ったことを何度口にしただろうか。馬岱の言うとおりだ。ため息を一つ吐き言う。
「某の家に来ると良い。傷の手当をする」
「あはは、ごめんね、ほんとに」
肩を貸して二人で歩いていると、鼻を啜るような音が聞こえた。驚いて下に見える馬岱の顔を覗こうとするが、男のお気に入りの帽子が邪魔をして見えなかった。
「ねえ~、ホウ徳殿」
涙声のまま、馬岱が呼んだ。
「俺さあ、あのまま叔父さんたちと死んじゃったほうが良かったのかなあって時々思うんだよぉ」
「……何を」
「だってさ、俺が居るから、若ががんばろうとしちゃうんだよ。なんかそう思うんだ。俺が居なければもう若は馬家の当主っていう楔から解放されるんじゃないかって、そう、さ、考えちゃうのよ」
「何か、言われたのか」
「……言われたわけじゃないけど。若はいつも、俺たちが馬家の生き残りだ。必ず復讐を遂げて馬家を繁栄させなくてはって息巻いてて。それが自分ひとりだけだったら、もう諦めて、若が幸せになれる道を探してくれるんじゃないかって」
「貴公は、本気でそれを言っているのか」
「……」
無言だったが、小さく、頷く気配がした。
両肩を掴んで、帽子を跳ね除けた。ばさり、と地面に落ちる音がしたが、その行方をホウ徳も馬岱も追わなかった。
泣き濡れた男の顔が露わになる。
「貴公が傷を負っていなければ、思い切り殴り飛ばしているところだ」
「ホウ徳殿?」
「それを馬超殿の前で、もう一度言ってみるか? 言えるのか、貴公は」
「……」
「馬超殿は、貴公が居るからまだ馬孟起で居られるのだぞ? 己が楔だ足枷だ、などと良く言えたものだ。貴公は自分の価値を理解しておらぬ」
「でも……」
「某も、某以外の人間も、貴公の明るい振る舞いにどれほど救われているか、知らぬのか」
「俺は……俺には、そんな力」
「ある」
ホウ徳はすっかり長い付き合いとなった男を見下ろして断言する。長く付き合ううちに分かったことがある。
この男の陽気さは、生来のもの、というよりは世渡りの一環で身に付いたものだ。笑顔も時々無理をして浮かべていることにも気づいた。
それでも、悲しい時も心が折れそうな時も、明るく居られることがどれほど大変なことかホウ徳は理解している。
「馬岱殿は強い。良いか、二度とそのような自分を捨てるようなことを言うな。言ったら、某は馬岱殿を軽蔑するぞ」
「あは、それはきっついなぁ。俺、若とホウ徳殿にだけは嫌われたくないからなあ」
泣き笑いのまま、馬岱は困ったよぉ、とおどけた。
いつもの馬岱に戻っていた。
「ホウ徳殿、ごめん。俺、どうかしてたよ。だって、何としても生き残るのが俺の信条だものね! 弱気になっちゃ駄目だよね!」
「その通りだ」
力強く頷いて、笑った。
「あはは、やっぱり俺、ホウ徳殿の笑顔、大好きだよぉ」
「某も、馬岱殿の笑顔が好きだ」
「うわ! 何それ、告白ぅ? もー、照れちゃうからやめてよ~」
馬岱は急いで地面に落ちたままの帽子を拾い上げて、深く被ってしまった。
「俺、頑張ってみるよ。若を前みたいな若にしてみせるから。そしたらまた、ホウ徳殿も一緒に、凉州の草原、駆けようね」
「ああ、待っている」
「うん、待ってて」
顔を上げた馬岱は、にっこり、出会った時のままの笑顔を浮かべていた。
その瞬間に、ホウ徳は自分の馬岱に対する想いの出所に気付いたのだが、それをこの男へ打ち明けるのは、もう少し後にするべきだろう、と控える。
その時、馬岱が言う、三人で何の憂いもなく凉州の草原を駆ける日が来たときに、告げればよい。
そのような時が本当に来るかどうかは分からないが、少なくとも馬岱が馬超の傍にいるのならば、いつか馬超は自分を取り戻すだろう。
待っているぞ。
きっと来ると、某は信じている。
再び肩を差し出した馬岱の体を強く抱き寄せながら、ホウ徳は遠い凉州の草原を夜の星の向こうに描いた。