日付が空いてしまいましたが、孔明の命日にあれこれ反応をありがとうございました!
そういえば、私が「諸葛亮」と「孔明」っていうときの違いって、
どうでもいい話といえばどうでもいいんですが、
「諸葛亮」=歴史寄り、客観的、一般的、距離がある感じ
「孔明」=自分で書いた諸葛亮寄り、腐的、人間臭い、身近な人
という感じで使い分けていたりします。
あとは人に説明したりするときとか、諸葛亮は~ってなりますね。
劉備は劉備だし、曹操様は曹操様なんですけど、
諸葛亮だけは、気が付くと呼び分けています。
あ、でも最近「曹操様」は「モートクさん」に近くなってきて、
どうやら自分の中でだいぶ曹操様は人間臭く、身近な存在へと変化しているようです。
でも、長年の癖で、そそ様だったり、曹操様になっていますがね。
ちなみにふた茶だと、伊籍さんは絶対に「伊籍さん」って言わないと落ち着かなくて、
孫乾は「孫乾」と呼び捨て定着、伊籍さんに対してどうしようもないことしているときは「公祐」
になっていたり、数年単位で彼らと付き合っていると、徐々に変化していくなあ、と。
ちなみにふた茶の中での糜竺さんは、私とさわらさんと某糜竺スキーの方の中では
「おやびん」
で通じます(笑)。
そんな与太話をしつつ……。
遅くなりましたが、折り畳みで孔明命日小話にメッセージをいただいた方へ、
お返事しておりますので、お心当たりありましたら、ご覧ください。
栗まんぢう様へ
こんばんは!
毎度感想をありがとうございます!!
励みになっております!
はい、栗まんぢうさんのために趙雲をww
半分事実、半分自分の趣味です。
劉備が死んでからの諸葛亮と趙雲の絆が、どうやら本当に私の中で、
けっこうな具合で楽しい(というと何か語弊がある気がしますけど)ので、
ついつい登場させたくなります。
趙雲の年齢が不詳ため、実際に二人の関係がどんな具合だったのか、
しかし年表見れば、確実に趙雲が年上でないとおかしいので、
仕事をしすぎる諸葛亮を叱る役目は、劉備亡きあとは趙雲のお仕事ですw
諸葛亮という人を書く、という接し方をして長くなってきまして、
都合の良いほうへ彼の人格を引っ張ってきているような気がする昨今ですが、
劉備に対して子供っぽくて、意地っ張りで、でも大好きで仕方がない、
そんな諸葛孔明も居てもいいじゃない!
というつもりでいつも彼を書いていますが、栗まんぢうさんに受け入れられて、
嬉しい限りです。
そして、そんな人に近い諸葛亮を、仕方がない奴だ、と見守る劉備は、
いつも美味しいポジションです(笑)。
夢オチかパラレル的か、タイムトラベルか、
難しいところの落とし方をしましたが、自由に解釈してくださって結構です(笑)。
含みを感じ取っていただけて、嬉しかったです!
ありがとうございました!
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